2020年春の高校野球出場校が決まりました。大阪桐蔭も出場します。
大阪桐蔭は2018年、史上初、二度目の春夏連覇を果たしました。しかし2019年は春、夏ともに甲子園出場ができず、悔しい1年となりました。
3季連続甲子園出場なしは避けなければならないというプレッシャーのなか、大阪桐蔭野球部の主将となった藪井駿之裕選手。
今回は、藪井駿之裕選手の出身中学校や所属していた少年野球チームなどのプロフィールや、人柄をあらわすエピソードなどを調べました。
藪井駿之裕選手のプロフィール
藪井駿之裕選手のプロフィールはこちらです。
藪井駿之裕選手プロフィール
名前:藪井駿之裕
出生年:2002年
学年:新3年(2020年1月現在、高校2年生)
身長:178cm
体重:75kg
利き腕:右投右打
藪井駿之裕選手の出身中学校
藪井駿之裕選手の出身中学校は、大阪の摂津第五中学校です。
〒566-0065 大阪府摂津市鳥飼新町1丁目10番1号
摂津第五中学校は、中日ドラゴンズで活躍し「ミスタードラゴンズ」と呼ばれ、元プロ野球選手で現在は野球解説者をされている立浪和義さんの出身校です。
藪井駿之裕選手の所属していた少年野球チーム
藪井駿之裕選手は大東畷ボーイズに所属していました。
公益財団法人・日本少年野球連盟大阪北支部に加盟し、大東市を中心とした近隣地域の中学生が所属する硬式野球チームです。
大東畷ボーイズ出身のプロ野球選手はこちらです。
宮地 克彦(元ソフトバンクホークス)
谷口 功一(元読売ジャイアンツ)
萩原 誠(元阪神タイガース)
宇高 伸次(元大阪近鉄バッファローズ)
久本 祐一(中日ドラゴンズ)
建山 義紀(テキサス・レンジャーズ)
中村 剛也(埼玉西武ライオンズ)
金本 明博(元中日ドラゴンズ)
松原 聖弥(読売ジャイアンツ育成)
土肥 星也(千葉ロッテマリーンズ)
藪井駿之裕選手は中学時代の3年間、大東畷ボーイズで練習に励んでいました。
大阪桐蔭主将としての藪井駿之裕選手
藪井駿之裕選手の所属する大阪桐蔭では、主砲・西野力矢選手など実力ある選手が多く揃っており、そんな状況の中、藪井駿之裕選手は主将に選ばれました。
少し違う話になりますが、薮井駿之裕選手の“はとこ”に報徳学園で活躍していた氏家大輔さんがいます。
氏家さんの応援で2008年夏の甲子園で報徳学園vs大阪桐蔭戦を見ていた薮井駿之裕選手は、大阪桐蔭の強さを実感して、憧れを持ったといいます。
ですので、誘いを受けたときは非常に嬉しかったそうです。
大阪桐蔭1年秋の近畿大会でベンチ入りしましたが、この年の春、夏とベンチから外れ悔しい思いをしていました。
主将には、2年前は中川卓也選手、1年前は中野波来選手と下級生時代からレギュラーとして活躍していた選手が就任しているだけに、なかなかない抜擢と言われています。
大阪桐蔭の西谷浩一監督は「主将選びの基準にベンチ入りの有無は関係ない」と語っています。
薮井駿之裕選手は同学年の選手からの人望が厚く、西谷監督と2年生との個人面談でも薮井駿之裕選手を推す声が非常に多かったそうです。
薮井駿之裕選手は前主将の中野選手に報告しました。
「『頑張ってくれ。俺たちは出ていないから春の甲子園に何としてでも出てくれ』といわれたときは頑張ろうと思いました」
と主将としてチームを引っ張ることを心に決めたといいます。
しかし、薮井駿之裕選手はチームをまとめるのには苦労したそうです。
「最初はバラバラでしたね。言い方は悪いですが、自己中心的な選手が多いんです。僕たちの学年は23人いるのですが、23通りの考え方、さらに自分が一番になりたい思いがあるので、まとめるのはしんどかったですね」
我が強いことは悪いことではない。もともと全国制覇したい、プロに行きたい。そういう上昇志向を持った選手たちの集まりが大阪桐蔭である。
薮井は選手たちのベクトルが1つの方向に向くために副主将の柳野 友哉、吉安 遼哉、清水 大晟や前チームから出ている選手を含め10人を中心にミーティングを行った。そこで出た答えはお互いを認め合うことだった。
「今の2年生は1人1人が負けず嫌いで、自分が一番という気持ちの選手が多いので、競争心が高いです。競争をしていく中で、だからお互いが認め合い、1人1人の努力を認めることを大切にして、良いチームを目指そうと思いました」
ようやくまとまり出したのは、大阪府大会準決勝に勝利し、決勝戦の相手が履正社に決まった後からだ。決勝戦まで1週間あったことで、勝つためにどうすればいいか話しあうようになった。
「履正社さんは夏の甲子園で優勝されているチームなので、勢いもあって、経験もあります。そういうチームが勝つためにどうすればいいのか、岩崎君をどう打てばいいのか、毎晩遅くまで話し合ったり、素振りも一緒にするときも仲間に『今の感じはどう?』と確認しあったり、一緒に練習しはじめてまとまってきたなと感じました」一番になりたい気持ちが強い選手たちが宿敵を破るためにどうすればいいか協力するようになり、チームが1つになる転機となったのだ。
藪井駿之裕選手は最初はなかなかベンチ入りできない悔しさを味わいながらも、ひたすら練習に励みベンチ入りすることができ、人柄的にも、他の部員たちからの人望が厚いことからキャプテンに選ばれたのですね。
チームをまとめるのはやはり相当大変だったようですが、その壁を乗り越えていたことがわかりました。
藪井駿之裕選手の人柄がわかるエピソード
高校野球秋季近畿地区大会決勝で大阪桐蔭が天理と試合し、12―4で敗北した時のこと。
決勝で敗れ、相手の場内インタビューが終わった後だった。
大阪桐蔭の主将、薮井駿之裕(2年)は相手ベンチに向かって駆けだした。
天理の中村良二監督のもとへ行くと、少しだけ言葉を交わして頭を下げた。
中村監督は「ありがとうな」と応えた。薮井は仲間のもとへ戻っていった。
敗れたチームの選手が相手の監督に話しかける。それも、表彰式の直前に。あまり見られない光景だ。
薮井がその理由を教えてくれた。
「どうしてもお礼が言いたくて。お世話になった少年野球のチームが中村監督に助けてもらったことがあるんです」
大阪桐蔭に入学する前の出来事だった。
大阪にある少年野球チーム「藤井寺リトルシニア」の練習場が大雨の影響で浸水し、練習道具一式が使えなくなった。
そこにボールを支援したのが、天理の中村監督だった。
中学で所属していたチームの監督が天理出身だった縁もあり、薮井もボール運びを手伝った。
ただ、薮井は藤井寺リトルシニアとは違うチームの出身。
自主練習をするために練習場を借りたことはあったが、直接的な被害を受けたわけではない。
さらにこの日は、敗れた直後で気持ちも落ち込んでいたはずなのに――。
「もちろん一番は、チームが負けて悔しいですけど……」と薮井。
でも、「野球をやっている以上、野球でつながっている以上、助けたり、助けられたりするもの。助けてもらったと思っていたので、ずっとお礼が言いたかった」
背番号14の薮井は、この試合に出場することはなかった。
それでも全国屈指の強豪校で主将を任されている理由が、その行動からも伝わってきた。
どうしても一言お礼が言いたかった、藪井駿之裕選手の気持ちが伝わってきます。
春の高校野球、素晴らしい試合を期待したいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。