YOSHIKIの半生を、「金スマSP」が特集しました。再編集放送でも魅入ってしまう。
やっぱりYOSHIKIはカッコいい。カッコ良すぎる。
番組を観て、お父様の自殺に、やりきれない複雑な気持ちになったり、hideの死に友人と一緒に悲しんだ記憶が蘇りました。
今回は、YOSHIKIのお父様の死、YOSHIKIの半生をご紹介します。
YOSHIKIの父の自殺の謎
YOSHIKIには、優しくてかっこいい父親がいました。
病気がちで入院ばかりしていたYOSHIKIに、父は「欲しがってたおもちゃを買ってきた」と言って、いつもぬいぐるみやおもちゃを買ってきました。
毎日がクリスマス状態だったとか。
YOSHIKIの父はタップダンサーで、とてもかっこよかったそうです。
日本刀の収集が趣味で、音楽にも精通していたりと、活動的な人でした。
YOSHIKIがさらに成長すると、毎年誕生日には新しい楽器を、父はYOSHIKIにプレゼントするのでした。
そんな父が、死んでしまいます。
夏休みの出来事でした。
小学生だったYOSHIKIは習い事から帰ってきて、親戚が部屋に集まっているのを見ます。
親戚は、父親は病気で眠っているといいます。
ですが、YOSHIKIは嘘と見抜きます。
父の遺体に駆け寄り、父が死んだことを知るのでした。
悲しみに沈みながらも、自分は弟もいて長男で、母は呉服販売の仕事を1人頑張って息子二人を育てていることもあり、自分がしっかりしないと、と父のいない寂しさをぐっとこらえていました。
家族の誰も、父親の話はしなくなっていました。
それから何年も経って、たまたまYOSHIKIは家に親戚が来ていて、話をしているのをきいてしまいます。
「まさかあいつが自殺するなんてなぁ」
始めて父が自殺していたことを知ったYOSHIKIさん。
悲しみのほうが勝ったけれど、怒りもあったといいます。
なぜ?と。
父は車の排気ガスを車内に取り込み、自殺したそうです。
理由は、母も誰もわからないのでした。
ToshIと出会いバンド結成
レコード店でベートーベンなどクラッシックのレコードを探すのが好きだったYOSHIKI。
ある日、「なんでこの人達こんな格好してるんだろう」と気になったレコードを買って、家で聴いてみます。
その音楽に衝撃を受けるYOSHIKI。
KISSのレコードでした。
父が死んでから始めて、自分の中に生まれた激しい感情。
でも、昔からあったかもと振り返ります。
入院ばかりだった自分。
壁をぶち壊したい。
ここから抜け出したいという激しい感情と同じだったかもしれない。
たまたまToshIもKISSが好きで話が合いました。
2人でバンドを組もうとなりました。
YOSHIKIとToshIは中学も高校も同じ。
若い頃、YOSHIKIは学校では荒れていました。
格好は絵に書いたような不良。
髪が長いといって、先生にバリカンで刈られたり。(これはひどいですよね)
どんどん不良になっていきました。
ロック=不良というイメージもあったので、そういう世界に惹かれていたようです。
でも、勉強はよく出来ました。
高校(進学校)では中学以上に荒れまくりましたが、母親に“シンナーや麻薬、人を傷つけたりすることは絶対にしないこと。受験勉強はちゃんとやること”といわれ、「わかってるよ」とだるそうに言いながら、友達の単車の後ろに乗りながらしっかり英単語を覚えたりしていました。
お母さんとの約束通り、勉強はちゃんとやっていたんですね。
進路に悩んだ末、音大に行くと決めました。
それを母親に伝えると、応援すると言ってくれました。
しかしその頃、頑張っていたドラムで賞をもらいます。
そういったこともあり、ToshIと2人、バンドでもっと大きいことができるんじゃないかと思うようになります。
音大に進学するのを辞めて、バンドで勝負することを決心するのでした。
お母さんは猛反対しましたが、息子はいい出したら聞かないことも一番良くわかってたのでは、と振り返ります。
バンド活動を続けていくYOSHIKIさんたち。
お母さんに頼み込み、1000万借りてCDを出し、絶対に売れることを誓います。
全米デビューにも挑戦します。
海外メディアからは、英語がしゃべれないバンドが成功したことはないと一蹴。
相手にされず、海外の壁の厳しさを知ります。
hideの死
hideはX Japanをやっている時はYOSHIKIの魅力が大きかったと語っていました。
お互いに才能を認めあっていたんですね。
人気も実力も凄まじい頃。
hideは亡くなってしまいます。
(私は友人と2人、当時はショックで悲しくて、でもhideは自殺じゃないと信じています)
hideの死は謎。
YOSHIKIは精神的に追い詰められます。
さらに悲しいことに、少女たちのhideの後追い自殺の報道が。
死の連鎖をとめるには、よしきが呼びかけるしかありませんでした。
自身もボロボロの状態の中、ファンに訴えるYOSHIKI。
hideの葬儀の献花に訪れたファンは5万人。
X JAPAN解散から、わずか5ヶ月後のできごとでした。
YOSHIKIは苦しみます。
「僕がhideをX JAPANに誘っていなかったら、死んでなかったんじゃないか」
当時はそういうことをずっと考えていたそうです。
生きてるって何?
“二度とステージには立たない”
YOSHIKIはそう決意したのでした。
再起までの道のり
YOSHIKIはアメリカで生活し、現地の精神科に通っていました。
ドクターに説明していたら、だんだん腹が立ってきたそうです。
わかる、わかると言われて、わかるはずがないと。
怒っていたら、徐々に正常になってくる感覚があったようです。
少しずつ、曲を書いてみようと思えるようになってきたといいます。
そして、hideの死から1年後に転機が訪れます。
曲を作って欲しいと依頼を受けたのです。
天皇陛下即位記念の演奏。
こんな大役を引き受けていいものか。
自分は2年以上、ステージにたっていない。
曲は作れても、ステージに立てるのかどうか・・・
YOSHIKIは母に電話をして相談します。
「大変でしょうけど、こんな大役をいただいたことに感謝してやってみたら?」
母に背中を押され、ピアノに向かってみると、驚くほどメロディが溢れてきました。
「Anniversary」8分間のピアノ協奏曲。
大舞台で、見事に演奏を成功させました。
この時受けた拍手。
自分にはまだ音楽がある。
そう感じた瞬間でした。
その後、「愛・地球博」の音楽もプロデュースします。
仲間の存在と共に
5月2日はhideの命日。
毎年メモリアルイベントが開かれています。
ですが今年はコロナで中止となりました。
お墓参りの自粛やステイホームを、公式HPでは呼びかけています。
hideの告別式から10年後、YOSHIKIはToshIと再開します。
天国のhideのために作った曲「Without You」
ヒデが自分達を会わせてくれたんじゃないか、と思ったそうです。
そしてX JAPANを再結成することに。
コンサートでは、亡きhideもステージに立っているように演出されました。
グループの約束を破ったとして、YOSHIKIが辞めさせたTaijiも戻ってきました。
メンバー全員でのステージ。
しかし翌年、Taiji はサイパンで自ら命を立ちます。
なぜ、YOSHIKIの大切な人はどんどんいなくなるのでしょうか。
悲しみを乗り越え、YOSHIKIはカーネギーホールで単独演奏を成功させ、X JAPANは映画化もされ、YOSHIKIはクレカのデザインとなったり、活動を止めることはありません。
天国の友たちの思いを背負って、今も走り続けています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。