2020年3月9日、安倍首相は新型コロナウイルスの感染拡大を、公文書管理ガイドラインが定める「歴史的緊急事態」に指定する考えを表明しました。明日、10日にも決定される見込みとなっています。
歴史的緊急事態に指定されると、政府会議の開催日時や発言者、発言内容などの記録が義務付けられます。
今回は新型コロナウイルス以外の、過去の流行り病の歴史を調べました。
過去の流行り病の歴史 天然痘
737年(奈良時代)天然痘が大流行しました。
致死率は50%とも言われています。
藤原四兄弟も相次ぎ病死し、政治機能が麻痺しました。
東京大学史料編纂所 本郷和人教授「天平9年(737年)6月に、今の厚生省にあたるような典薬寮という政府の役所が報告書を出しています」
そこには、“生水を飲むな、死ぬぞ”、“辛いものを食うな”、“生魚を食うな”と書かれていたといいます。
東京大学史料編纂所 本郷和人教授「トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなるよって、あのようなデマがまん延している様子と似ていますよね」
734年から、遣唐使や新羅に行った使節の帰国が始まりました。
737年に、天然痘が大流行しました。
日本で天然痘が流行った経緯の詳細は、以下のように言われています。
日本には元々存在せず、中国・朝鮮半島からの渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックが見られたと考えられている。
折しも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響が見られた。
『日本書紀』には「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹などの説もある)。
585年の敏達天皇の崩御も天然痘の可能性が指摘されている。
735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した(天平の疫病大流行)。
四兄弟以外の高位貴族も相次いで死亡した。こうして政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥った。
この時の天然痘について『続古事談』などの記述から、当時新羅に派遣されていた遣新羅使の往来などによって同国から流入したとするのが通説であるが、遣新羅使の新羅到着前に最初の死亡者が出ていることから、反対に日本から新羅に流入した可能性も指摘されている。
奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行である。
過去の流行り病の歴史 コレラ
1858年(江戸時代)コレラ(虎狼痢 ころり)が大流行しました。
江戸だけで数万人が死亡したと言われています。(諸説あり)
コレラの流行により、外国人排斥「攘夷思想」が加熱しました。
日本で初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が日本に及んだ1822年(文政5年)のことである。
感染ルートは朝鮮半島あるいは琉球からと考えられているが、その経路は明らかでない。
九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかった。
2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目は再び日本に達し、1858年(安政5年)から3年にわたり大流行となった。
1858年(安政5年)における流行では九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかったという文献が多い一方、江戸だけで10万人が死亡したという文献も存在するが、後者の死者数については過大で信憑性を欠くという説もある。
1862年(文久2年)には、残留していたコレラ菌により3回目の大流行が発生、56万人の患者が出た。
この時も江戸には入らなかったという文献と、江戸だけでも7万3000人〜数十万人が死亡したという文献があるが、これも倒幕派が政情不安を煽って意図的に流した流言蜚語だったと見る史家が多い。
1858年(安政5年)の流行は相次ぐ異国船来航と関係し、コレラは異国人がもたらした悪病であると信じられ、中部・関東では秩父の三峯神社や武蔵御嶽神社などニホンオオカミを眷属とし、憑き物落としの霊験を持つ眷属信仰が興隆した。
眷属信仰の高まりは憑き物落としの呪具として用いられる狼遺骸の需要を高め、捕殺の増加はニホンオオカミ絶滅の一因になったとも考えられている。
過去の流行り病の歴史 スペイン風邪
1918年(大正時代)、インフルエンザの起源と言われるスペイン風邪が流行しました。
東京大学史料編纂所 本郷和人教授「スペイン風邪のときに、相当の人が死んだ。(国内で)38万人という話もあって、内務省が“人混みには行かないようにしましょう”、“家に帰ってきたらうがいと手洗いは大事です”、そういう感冒(風邪)の心得を発表したんです。今、本当にマスクがどこにも売っていない状況だけど、“マスクをしましょう”というのは、スペイン風邪のときに、社会に定着したと言われています」
スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である。
スペインかぜの感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は18~20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。感染者が最も多かった高齢者では基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では大量の死者が出ている。
大日本帝国(日本)では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡し、アメリカでも50万人が死亡した。これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。
人類は未知のウイルスが出現すると、ワクチンや特効薬を開発し、そこまで恐れる必要がなくなるよう歴史を作ってきました。
今回の新型コロナウイルスも、早く脅威でなくなるよう願ってやみません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。